自分を自分たらしめるものとは何だろう。
ある哲学者はこう言ったそうだ。
「我思う、故に我あり」と。
誰から聞いたのだか忘れてしまったが、(きっとガイか、ジェイドだろう)それはまさに今の自分の状態を表していると思う。
四六時中考えている。
忘れもしない。忘れることができない。あのアクゼリュス崩落のあとから。
あれは俺が起こしてしまった罪なのだ。自分が師と仰ぐ人によって操られた結果であっても。助けられたはずの多くの命を殺したのだ。
そして今、その師がいる栄光の大地―エルドラント―に赴こうとしているときでさえ、考えることをやめない。やめられない。
自分を自分たらしめるものとは何だろう。
そうして真っ先に浮かぶものは「名」で、最後に浮かぶのも「名」だ。
俺には元々、名前など無かった。もしかしたら造られた時に認識番号みたいなものがあったのかもしれない。それこそ、自分と同じ(完全同位体ではないけれど)が何人もいた中で見分けがつくように与えられたもの。その中で被験者の完全同位体として偶然的に生まれたが故に被験者の名を奪った。
考えれば、
ティアだって、ジェイドだって、ガイだって、アニスだって…ナタリアだって
誰だって
名前を持っている。それは自分のものだと胸を張って言えるものだ。
でも、俺には…無い。
名前を与えるべき親がいないのだから。
唯一親と呼べる存在といえば、おそらく自分の師なのだろう。造ったのは紛れも無くヴァン・グランツ―ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ―なのだから。だからこそ、己は盲目なまでに信じていたのだろう。最初に見た動く物体を親と認識するような刷り込みのように。(そして裏切られた。)
「ルーク」
かつてはそれが己の名だと信じて疑わなかった。疑うことさえしなかったし、疑う行為さえ知らなかった。
でも、付けられた名は自分のものではない。周りがそう呼ぶから自分は「ルーク」だと思い込んでいただけ。
それは被験者の−ルーク・フォン・ファブレ−の名。
今はアッシュと名乗る被験者の名。
自分は複製品「レプリカルーク」でしかないのだ。「レプリカルーク」は被験者と区別するための呼称であって名ではない。
イオンは…どうだったのだろう。俺と同じレプリカのイオン。俺は被験者のイオンを知らない。けど、彼は…俺と出会ったイオンは被験者の名を名乗ることに疑問を感じていなかったのだろうか。
今となってはもう聞くことができない。彼は還ってしまったのだから。何も残すことなく。
何度もチャンスはあったはずなのに。
今となっては分からない。でも、彼はいつも笑っていた。優しかった。少なくとも俺の前では。
イオンはきっと誇りを持っていたのだろう。被験者の名を名乗ることに。そしてその名に恥じないように。導師として教団を、オールドラントを導いていくために。
同じようで少し違う立場。
ルーク・フォン・ファブレはキムラスカ王国を導いていかなければならない。
何よりも尊くて崇高な存在でなければならない。
その役目は名を持つ者が負うべき責任で、生まれながらの運命。
預言によってそれは歪められてしまったが、それでも本当のルーク・フォン・ファブレは生きている。今もなお。
なら、なおさら複製品の俺は奪ってしまった陽だまりにいてはいけない。そこは被験者が、アッシュが立つべき場所。そしてルークの名も。
これから向かう栄光の大地での戦いはけじめなのだ。
被験者…アッシュと戦うことも。自らを造り出した人と戦うことも。
戦いのあと、自分は消えるのだろう。イオンが消えたときのように何一つこの世界には残さずに。それは漠然とした予感ではなく確信。もうあの7年過ごした邸に帰ることは無いだろう。仲間の元にも。大爆発によってか、音素乖離によってかは分からない。自分の師は強い。もしかしたら刺し違えることになるかもしれない。
そうすれば、返すことができる。ルーク・フォン・ファブレの名を。アッシュは今まで散々認めてはいなかったが、否が応でも名乗らざるを得ないだろう。
偽りの複製品は消え、真の聖なる焔の光がキムラスカ王国を照らすのだ。
生まれるべき場所を間違った俺は、アッシュの中にアッシュを構成する一つの音素として還る。
一つ願うなら、願うことが許されるなら名前さえ与えられなかったこの「レプリカルーク」に名前を下さい。
名前という固有名詞があることで、俺は存在したことを残せる気がするから。
考えることでしか、存在を示すことが出来ない俺に。
戻る場所もない、守れない約束をする俺はただそれだけを願います。
「お前は誰だ」
それでも、そのときが来るまでは俺はこう答えるだろう。
「俺はルーク・フォン・ファブレだ」と。
名すら与えられず、ただ名を得ることを、存在を残すことを望んだ少年の独白。
「我思う、故に我あり」
まさかオールドラントにデカルトはいないと思いますが…
存在意義を考えてしまうルークにとって、それを考えていることは生きていること、存在していることだと思うのです。
比較対象としてイオンを出しましたが、ルークの場合は被験者が生きているという点でやっぱり違うような気がします。
nameless 2006/12/28
加筆修正 2007/01/04