中庭からエントランスに続く廊下へと入る。この時間ならばまだラムダスはそこにいるはずだからだ。何かと小五月蝿いのは今も昔も変わらないが、執事としてはこれ以上適任の人物はいない。
「アッシュ様、如何されました?」
エントランスへの扉を開けた音で気づいたらしい。すぐにこちらの姿を認めると、声をかけてきた。

「すぐに一人分の食事を用意してくれ」
「はっ?先ほどご夕食をお召し上がりになられたばかりでは?」

余計な詮索をされてはまずい。ラムダスのことだ。うかつにルークが還って来たなどと言えばすぐに触れ回って邸中が大騒ぎになる。それどころか城まで知らせに行くだろう。

「いいからすぐに持って来い!」
「はっ、只今」
有無を言わせず、眉間に皺を寄せて睨むとすぐに厨房へと向かっていった。














再び、中庭まで戻って部屋の前にある椅子に座りながらテーブルに頬杖をついてラムダスを待つ。めったに座ることが無い椅子だが、こんな時はあって良かった、と心底思った。
夜風に吹かれて中庭の花が揺れる。幼少の頃にはじっくり見たことも無かった花だ。
あの時の花は今もあるだろうかと馬鹿なことを考える。あるはずが無い。俺とナタリアとガイを見てきた花は。

あの時の日々はもう戻ってこない。
時も状況も立場も何もかもか違う。

もしヴァンにさらわれていなければ、俺はどうなっていただろうか。
やはり預言通りにアクゼリュスでこの国に殺されていた。父上もそれを知っていた。


「預言だから」


その一言で済む言い訳。
預言通りが何もかも正しいと思う者の。


預言、預言、預言。



反吐が出る。


俺はそんな光と影を見てきた。上の者は上しか見ず、下の者は、下しか見ない。日々何もせずに暮らしていける者、その日の生活にさえ困る者。誰も彼も預言通りに生きている。ナタリアとこの国を変えようと約束したのも預言ばかり気にする周りに嫌気が差していたからかもしれない。ヴァンの理想もレプリカ世界を創るなどと言わなければ、この世界にとっては一つの救いだと思った。

それでも、預言がなければルークは生まれていない。預言を憎むあまり世界中に劇薬を振りまいた者が居たからこそルークは今此処に居る。世界は今日も存在し続けている。今日も明日も明後日も。

俺は今まで多くのものを失ったが、代わりに多くのものを得た。今、此処にこうして生きているのも得たもの。かけがいのない半身から得たもの。

そして改めて思う。失う悲しみを知ったからこそ、得た幸せを二度と離さないようにと。









「アッシュ様、お待たせしました。」
いつの間にかラムダスは来ていたらしい。ご夕食の時間が過ぎてしまって簡単なものしかご用意できませんでしたが…と、トレイに乗せたチキンサンドを差し出す。
「上出来だ。」


これなら好き嫌いが多いルークでも食べられる。あいつも俺もチキンは好物の一つだ。完全同位体は好物まで似るらしい。もっとも嫌いなものはあいつのほうが桁違いに多いが。

「では、お部屋にお運びいたします」
「いや、いい。自分で持って行く」
今、部屋に入られたら完全にアウトだ。首をかしげ疑問符を浮かべるラムダスを下がらせ、廊下に消えたのを見届けてから部屋に入る。
















コイツはやっぱり屑だった。
俺が居ない隙に堂々とベットで寝ていやがる。


行き場を無くしたトレイをサイドテーブルに置き、たまたま近くにあった椅子をルークが寝ているベットに引き寄せる。
この状況でよく寝られるなと思いつつも、顔を見れば安心しきった笑みを浮かべて寝ている。










確かに還って来た俺の半身。分かり合う前に別れなければならなかった俺の半身。
姿は若干違えど確かにルークだ。此処に居る。
冷え切っていた俺の心を溶かしたのはルークだ。コイツがいたおかげで俺は変われた。

部屋の扉を開けるときにふと思った。もしコイツの姿が無かったらどうしようかと。俺が見ていたのは幻だったらと。恐ろしくて手が震えた。ノブも上手く回せなかった。

シーツに散らばる髪を梳きながら、確かめる。
たとえこの髪が紅だろうと朱だろうと。ルークはルークだ。もう失うわけにはいかない。
一度守られた命。今度こそ、俺がコイツを、ルークを守る番だ。


窓から見える月はまだ高く、夜はまだ明ける様子はなかった。

ラムダスすまない。せっかくのチキンサンドは無駄になりそうだ。




アッシュの性格が丸くなってます。
チキンサンドはあとで裏話があります。



この掌に残る確かな感触 2007/01/25