眼を覚ますと隣に同じ紅があった。
夢じゃなかった。
アッシュは此処に居る。
自分の隣に居る。
「あっしゅ…」
本当は、俺は還って来れないはずだった。
それなのに此処に居る。何の奇跡だか知らないけど。ローレライのおかげかな。
正直、ローレライを解放した後、光に包まれてからの記憶は無い。気づいたらタタル渓谷だった。初めは頭がぼんやりしてて、ここどこだろうなぁとか思ってたけど、そういえばアッシュはどうしたんだろうって気になって周りを見ても誰も居なかった。
此処に居なくてもし生きてるとしたらバチカルだ、と思って渓谷の小川沿いに降りていったら、その途中で視界の端の水面に紅が映った。アッシュだ、と思って辺りを見返してもその姿を見つけることは叶わなかった。
水面を良く見て自分の髪が紅なのに気づいた。何かの間違いだと思ってしばらく髪を洗ったけど全然変わらなかった。血じゃなかった。
これはアッシュの色で、俺が身に纏って良い色ではないのに。俺には劣化したあの色があるだけで良かったのに。
すっかり気落ちしてた所に鼻歌が近づいてくるのに気づいた。それで顔を上げたら見覚えのある人がいた。あの辻馬車の馭者だった。向こうも俺を覚えていて、驚いてカタンと木製のバケツをその手から落とした。
話を聞くと、あの戦いからどうやら2年以上も経っていて、今もマルクトとキムラスカは友好状態にあるらしい。馭者はマルクト人らしくキムラスカのことは詳しくないようだったからアッシュのことまでは分からなかった。
一通り話を聞いた所で、ケセドニアへ向かおうと思った。あそこにいるアスターさんなら詳しく知っていると思ったから。
此処で会ったのも何かの縁だ、と乗っていくように勧められたけど、俺は断った。
あの時と同じでお金持ってなかったし。そうしたらティアが差し出したペンダントの代金がまだ残ってると言われ、無理矢理に近い形で乗せてもらった。
道すがら、本当はグランコクマへ向かうつもりだったと聞いて俺は申し訳ない気持ちになった。
ケセドニアへ着くと、お礼もそこそこにすぐにアスターさんの邸に飛び込んだ。彼は部屋の一段高い執務机に腰掛けていたが、俺を見るなり、生きていたことに驚きつつも、落ち着くように言っていつもの口調で今のキムラスカのこと、マルクトのこと、ローレライ教団のことをゆっくりひとつずつ教えてくれた。話の中でアッシュの名前が出てきたときには安心してその場にへたり込んでしまった。
アッシュが生きていた。
それだけで俺は嬉しかった。
だから、俺はどこかでひっそり暮らそうと思った。あの場所はアッシュのものだから。俺の還る場所じゃないから。
アスターさんの紹介もあって一ヶ月の間は商隊の護衛とか簡単な荷物運びとか、とにかく色々やった。軽い便利屋みたいな感じだった。多分充実してた。それでも、日に日に逢いたい気持ちばかりが大きくなっていった。心の奥底に仕舞いこんだはずなのに。
そんなことばかり考えていたら仕事で少しミスもしてしまった。俺って馬鹿だな。生きてるって分かっただけで満足してたのに…それだけじゃおさまらなくなった。
一目だけ、一目だけ見てみたくなって連絡船に乗ってバチカルに来た。あの髪はバチカルじゃ目立つから深く外套をかぶって。
久しぶりに見たバチカルの街は何も変わってなかった。そういえば初めて街を見たのも港からだったなぁと思いながらもゴンドラに乗り込んだ。
たまたまだった。天空客車から降りた所で視察から戻ってくるアッシュを見たのは。
急にガヤガヤと辺りが騒がしくなったと思ったら、上層に向かうアッシュを街の人々が取り囲んだ。それに紛れて見た。あのアッシュがこんなに近くに居るって思ったら自然に身体が動いてた。アッシュは相変わらずで、人々の間を通り抜けてさっさと上層に行ってしまった。しばらく周りは騒然とした雰囲気だったけど、兵士達に制されて平穏を取り戻していた。それでも、俺はその場から動けずにいた。
その日はバチカルの宿屋に泊まった。それが今日なのだけれど。
見ただけじゃもう無理だった。あの声が聞きたい。欲張りだって分かってた。
そっと宿を出て、上層への直通昇降機の前に居る兵士の気を逸らして乗った。作動音に慌てる兵士が、降りろって叫んだけど後ろ向きのまま外套を外して紅の髪を見せると何も言ってこなくなった。乗ってた時間は随分と長く感じた。バチカルはこんなにも高かったかな。
幸いにも降りた所には誰も立っていなかった。2年前の記憶じゃここにはいつも兵士が居たと思ったけど、そんなことはもうどうでも良かった。
公爵家の邸はもう…すぐそこだった。
飛び出しそうになる心臓を、胸で押さえながら深呼吸する。大丈夫。少しだけ、少しだけだから。
心の中でよし!と気合を入れると眉間に皺を寄せて髪をかき上げて、唯一の出入り口にまっすぐ向かった。
でも、まさか朝まで居ることになるとは思わなかった。あの声を聞いて、見て、安心したせいかも知れない。気が抜けて寝てしまったのは失敗だった。本当はアッシュが部屋を出た後、すぐにガイがいつも忍び込んできていたあの窓から抜け出すつもりだったのに。
でも、ここは俺の居場所じゃない。
「帰ろう…」
ケセドニアに。俺にはあそこで、アッシュの幸せを祈りながら暮らしてるのがお似合いだ。
誰に言ったわけでもない。ましてや、アッシュは椅子に腰掛けたまま寝ている。
身体を起こそうとそっと腕を動かそうとしたが、それは叶わなかった。右手に暖かい感触があったから。前にも感じた感触。あれはどこでだっけ。
なんとかしようとあれこれやっている内に隣の影が動いた。
「…お前何やってるんだ?」
声に驚いて見上げると、まだ焦点の合わない眼がこちらを向いている。
だけど、次の瞬間には顔を真っ赤にしていた。
どうやら無意識の内だったらしい。
「で、お前は何処に行こうとしていたんだ?」
出て行こうとしていたのはどうやらばれていたようだ。さりげなく「何処に」が強調されてた気がする。
あの…その…、としどろもどろに言葉を返す。まさか帰るとは言えない。
「また卑屈なこと考えてるな」
手が伸びてきて、肩を抑えられて逃げられない。
「…だって…俺はレプリカだし、それにここはアッシュの場所だろ。」
勇気を振り絞って精一杯。俺が言いたいのはこれだけだから。
「この屑が!」
出た。アッシュの口癖。久々に聞いた気がする。寝る前にも聞いた気がするけど、あれはいつもと違って優しかった。
「いいか、此処は俺の居場所でもあるし、お前の居場所でもあるんだ。俺がお前を認めてやる。だからお前は全然遠慮する必要は無いんだ。もし、なんか文句言ってくる奴がいたら俺が始末してくる」
なんだか最後のほうに聞き捨てならない台詞があった気がするけど、この際気にしない。
アッシュの言葉がただただ嬉しかったから。
「俺…此処に居てもいいの?」
「当たり前だ。他に何処がある」
俺は何処に帰ろうとしていたんだろう。こんなにも暖かい場所があるなら離れられなくなるじゃないか。
涙が溢れてきそうになるのを頑張ってこらえようとした。
長編初のルーク視点。
どうやってバチカルに帰ってきたか編。アスターはたまたまですけど、辻馬車の馭者はどうしても出したかった。
あ、文中ではしっかり書いてませんが、「右手の暖かい感触」は勿論アッシュの手。うたた寝する時にうっかり握ってしまったようです。
陽だまり 2007/01/29