最後のページはその一言で終わっていました。
私には、ルークの指す「やくそく」が何だったのか、今となっては知ることは出来ません。
いえ、世界中の誰もがです。

彼がそれを持っていってしまいました。

あの時、心の奥底からしぼり出したような声に引き下がらず、強引に扉を開け放っていたら私は彼を助けられたのでしょうか。

遅かったのです。何もかも。
もう奇跡は起こらないのです。

彼のための棺には何もありませんでした。
正確には何も入れるものが無かったのです。
髪の毛一つ彼のものは残っていませんし、部屋には彼のものと呼べる遺品は何一つ無かったのですから。

この日記を入れようと言う人もいました。
けれど、これは彼が居た唯一の証。
これだけはどうしても手元に残して置きたかったのです。

我侭だということは承知しています。
それでも、彼は生きていました。
二度の奇跡によって懸命に生きようとしていました。

一度目はこの世に生を受けたこと。
二度目は無事に還って来たこと。

私達は二度の機会を得ながらそれを手放してしまったのです。
永遠に彼という存在は戻らないのです。

私は祈り続けます。

どうか、彼らに幸多からんことを。


ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア




「幸福の場所」から合わせると長い長い。
アッシュ帰還ルートの「残酷なまでの現実」とは対照的のルーク帰還ルートです。

どっちの作品にも言えることなんですが、幸せにはなれません。
アッシュと違ってルークはダメです。ぼろぼろです。どうにもこうにも弱い。心がね。
レプリカということを背負って、『ルーク』として生きる(この場合アッシュ)のは無理そうです。
いくら一万のレプリカの命を瘴気と引き換えに世界を救ったとしてもレプリカへの偏見は変わりません。

そう簡単に変われるものじゃないです。これは現実でも同じ。
母上はルークを『ルーク』・・・つまりアッシュに重ねてる。
父上はやっぱりモノ扱い。(≠レプリカ扱い)

あのまま生きるのはルークにとって…


・ルークの日記
「幸福の場所」を書くに当たって最初に書いたものです。いわばプロトタイプ。
公開するに当たって何が一番難しかったかというと、日付。オールドラントは1年が13ヶ月で1ヶ月が58日〜60日。

ナタリアを出したのは彼女が最初に日記を見つけそうだという単純な理由です。でも、後から読み返すと他に誰もいない。



それから 2007/01/31