このファブレ家も二年間は静かでどこか寂しげな空気が漂っておりました。旦那様は塞ぎ込むことが多くなりましたし、奥方様は以前にも増して伏せられる日々。これでガイ…ガルディオス伯爵やペール殿がこの邸におりましたら、多少は違っていたように思われますが、御二方とも旦那様にお暇を頂いてグランコクマへと帰られてしまい、ナタリア様が時々奥方様を気遣って見舞いに訪れられる他は火が消えたようでございました。
アッシュ様が邸に戻られてからは、錆付いていた歯車が回りだしたようでございました。旦那様も奥方様も喜んでおりましたが、それでも、どこかぎこちない回りで、大事な何かが欠けているような感じでございました。私はそれが何であるか分かっていましたが、どうすることもできませんでした。






今日のことでございます。夕食後、邸の前で警備に当たっていました白光騎士の者が妙なことを申していましたのは…

「アッシュ様が2回も邸に帰ってこられた気がするんだ」

私は何かの間違いでしょう、と気にも留めずに、その者には良く休むように伝え、別の者を手配してエントランスに戻って待機しておりました。
今、思えばそれが予兆であったように思います。















私がいつもの場所で待機しておりますと、お部屋に戻られたはずのアッシュ様がエントランスにお越しになられました。
「アッシュ様、如何されました?」
すぐに頭を下げ、お声をおかけ致しました。

「すぐに一人分の食事を用意してくれ」
「はっ?先ほどご夕食をお召し上がりになられたばかりでは?」
私は聞き間違いかと思い、思わず聞き返してしまいました。

そんなにアッシュ様は大食らい…いえ、ご空腹であられたのでしょうか、確かに本日は視察に出掛けておられたので無理も無いのですが、それとも今夜のご夕食がお口に合わなかったのでしょうか。
そんなことを考えておりますと、アッシュ様が眉間に皺を寄せて不機嫌になられるのがわかりました。
「いいからすぐに持って来い!」
「はっ、只今」
ここでご機嫌を損ねてはならないと、すぐに厨房へと向かったのです。





幸いにもファブレ家専属の料理長が残っておりましたから助かりました。しかし、先ほどの夕食で大方の食材を使い果たしており、翌朝、食材屋「暖衣飽食」の主人が届けるまでに用意できるものは限られておりました。これでは、とても一食分にもなりません。料理長とともに頭を悩ませているとあることが思い出されました。14,5年前、勉学に励むアッシュ様にお出しした間食のことを。
私は、この時ほど自分の記憶に助けられたことはございません。今も好みが変わっていないことはお戻りになられてからのお食事で眼にしていました。


すぐにそれを料理長に作るよう命じ、出来上がったそれをアッシュ様がおられるであろう離れへとお運びしたのです。トレイを持った手で中庭に通ずる扉を開けると、暗い中部屋に入らずに近くの椅子に腰掛けていらっしゃるアッシュ様のお姿が見えました。
私は慎重にお運びし、アッシュ様に近づきましたが、なにやら物思いにふけっておいでで、私が来たことにも気づいておられないご様子でした。

「アッシュ様、お待たせしました。」
そう、アッシュ様にお声をおかけし、ご夕食の時間が過ぎてしまって簡単なものしかご用意できませんでしたが、とトレイに乗せたチキンサンドを差し出しながら付け加えました。
一食分には到底及ばないそれに、また、お叱りの言葉があるのかと思いきや、かけられたお言葉は意外なものでした。
「上出来だ。」

私は、ほっと胸を撫で下ろしました。
「では、お部屋にお運びいたします」
「いや、いい。自分で持って行く」
いつもならば、「ああ、頼む」と続くお言葉が今夜に限って違いました。それもアッシュ様の性格からはあり得ぬお言葉。
熱でもあるのかと思いましたが、下がるように言われては確かめることも叶いません。私は廊下へと引き返すほかありませんでした。



























夜がようやく明ける頃、たまたま、中庭を通る用事がありました。それはたいしたことでは無かったのですが、先ほどのアッシュ様の普段とは違う態度がどうしても気になっていたこともありまして、中庭をまっすぐには通らずに少し離れの方へと足を伸ばしたのです。何事もなければ良いのですが、万が一ということもございます。

そっと近づいてみると聞こえてきたのはアッシュ様と…なつかしいもうお一方のお声。






















私は、それだけを聞いてすぐにその場を立ち去りました。

























私は用事を済ませた後、朝食の準備であわただしい厨房に赴き、中を走り回っている料理長をなんとか捕まえました。

「今朝は四人分の朝食を準備するようお願いします」
「四人分?」
「そう、四人分です」
「朝から客人か?」
「そんなところです」
私の曖昧な答えに、料理長は首をかしげながらも準備に取り掛かりました。

「急で申し訳ない」
その背に一礼すると、踵を返して私も朝食の準備に取り掛かるために応接間へと向かいました。しばらくすると公爵様と奥方様が揃って現れ、あとはいつもより遅いアッシュ様をお待ちするのみとなりました。








私は準備に追われながらも、視界の端の窓に見えた二つの赤に、涙腺が緩むのを感じ、あれは聞き間違えではなかったと確信したのです。

そして、私の仕事は増えるかもしれませんが、
ファブレ家はまた明るく賑やかになると思ったのです。




チキンサンド裏話。視点はラムダス。
製作中の仮題は「執事は見た!」(「家政婦は見た!風に」)



二番目に知った人 2007/02/06