「殺してくれ」
そう言ったらお前は殺してくれるのか
その剣を喉元に突きつけて掻ききってくれるのか
俺はぶらぶらとケセドニアを歩いていた。道に連なる露店を見て回っているけれど、生憎買うお金もない。1ガルドでさえも持っていない。実年齢7歳と分かってからは、財布を持たせる訳にはいかないと皆から言われたからだ。別に俺だって少しくらい自由に使えるお金を持ってたって罰は当たらないだろう。そう言ったら物の買い方も知らなかったくせにとティアにチクリと言われた。
確かに間違っちゃいないけど、俺だって少しは世の中のことを旅の中で学んできたつもりだ。認めてくれたっていいのに、まだ俺を子ども扱いする。どうにもこうにも過保護すぎる。いい加減自立したい。日頃、抑えていた気持ちがついに爆発して今に至る。
だから、露店で良いものがあって、手にとって見ても払えないことを思い出して、しぶしぶ元の場所に戻す。買わないのか、なんて言葉、今日で何度目だろう。
宿から飛び出す前に少しだけでもくすねて来たら良かった。そうしたら、普段迷惑かけてるお詫びにとかわいい物好きのティアに、さっき見かけた小物をプレゼントしてあげることもできたのに。後先考えないくせを直さないといけない。せっかくの機会を逃すから。
そうして、露店を覗いては、ため息をつきながら出るということを繰り返していたら、いつの間にか人通りもまばらになって日が落ち始めていること、随分バザールの端の方に来てしまったことを知る。砂漠の夜は冷える。いつもなら悩むことも無く暖かい宿へと戻るけれど、今日は何も言わずに出てきてしまったから足取りが重い。今頃、何処かの使用人が大声上げながらみっともなく俺を探しているに違いない。見つかったら往来の真ん中で俺まで恥をかく。それを避けるためといって俺だけ別の宿を取る訳にもいかない。むしろ取れない。
戻りたくない気持ちとは裏腹に着実に宿へと足は向かう。俺が戻ることが出来る唯一の場所へと。
途中、行き違った人の話から厄介な使用人は引き返したことを知る。こんな端まで俺が来るはずがないと思ったのか、それともまだ探してない所があったのか。いずれにしても、人の名前を叫びながら探されるのは困る。俺は断じて迷子じゃない。
「あれ?」
さっきまで何も無かった場所に露店が開いて人だかりが出来ている。行きがけに寄った近くの露店で聞けば、いつも夕方から商売を始めるそうで珍しいものを扱っていることで有名な店らしい。なるほど、それを知っている人々がどんどん集まってくる。
人だかりで見えないはずなのに、不思議とその中の先頭にいる人の髪が眼に止まった。砂漠では見かけることが無い色。世界中探しても、数人しか持たない色。持てない色。
この場にそれがあることでさえ知る人が見れば不自然だが、誰もそれに注意を払うこともない。ケセドニアとはそういうところだ。しかも、2つもあればそれは自然に変わるようでもあった。
何かを買ったらしい彼は露店から出てくるなり呆然と立ち尽くしていた俺を見つけ、お決まりの台詞が噤んでいた口から吐かれる。
「ここで、何をしている、レプリカ」
屑だの劣化だの言わなくなった所を見ると、少しは俺を認めてくれたらしいけれど、名前を呼ばれたことは無い。本当はルークと呼ぶのが嫌なのだろう。それは彼の名で俺の名でもあるから。
「別に何も、ただぶらついてただけ」
「嘘をつくな。あの過保護な奴らがお前を一人にするわけが無い」
ああ、俺はやっぱり子ども扱いらしい。どうしたら大人に見てもらえるのか。このままでは一生無理な気がする。
「そうだな…ガイが探してるみたいだし」
「だったら素直に帰れ」
手間かけさせるな、と俺に背を向けて歩き出す。そうも出来ない事情があるのも知らずに。
どの道行くあてはない。だったら…
「何のつもりだ。レプリカ」
俺と関わりたくないオーラを醸し出している彼を追って、人一人分がやっと通れる様な路地に入る。それなのに前を行く紅は所々置かれている木箱をなんでもないかのように通り抜けていく。そして、唐突に曲がり角に消えた背を見失わないようにと、急いで後を追った結果がこれだ。
眉間に皺を寄せまくった彼がこっちを向いて睨んでる。片手は剣の柄にあるし、ともすれば臨戦態勢だ。
それでも俺は退けない。今日だけは帰れない。
「何が」
「ついて来るな」
「ヤダ」
「宿ぐらい取ってあるだろう」
「無いよ。あったけど無くなった」
「…ついに脳みそまで劣化したか」
劣化、劣化うるさいけれど、それを拳を握る力に変えて今だけは我慢する。本当に宿無しで野宿するはめになる。旅の途中で何回か経験したけれど、慣れないし、そもそも街中で野宿するなんていうのはさすがにゴメンだ。おまけにこの砂で、最悪なことこの上ない。
「アッシュの所に泊めてくれ。今夜だけでいいから」
一生のお願い、と手を合わせて祈るような気持ちで頼む。たった7年しか生きていないけれど何回この言葉を使っただろう。
「冗談じゃねぇ。何で俺がレプリカと一晩過ごさなきゃならない」
一筋の希望は無残にも打ち砕かれる。予想はしていたけれど。
やっぱりダメか。ガイ相手ならまだしも、アッシュに期待した俺が馬鹿だった。アッシュの言葉に項垂れながら、そっと嫌味を言ってやる。
「…ケチ」
「殺されたいか」
怒気が増したその言葉に顔を上げると同時にスラリと剣を抜く音がした。かと思えば、鋭い剣先が頬を掠める。反射的に飛び退いたけれど、完全にはかわし切れなかった。髪の先が少しばかり切れて舞う。そして次の瞬間には俺の真正面に突きつけられている。それこそ眼と鼻の先に。俺の手は剣にかかっているけれど抜くまでには至らない。嫌な汗が背中を伝うのが分かった。
眼が…本気だ。
「嘘です、冗談です。ごめんなさい」
許してください、アッシュ様、謝罪の言葉を立て続けに言って何とか誤魔化す。彼の怒りがそれで収まるはずがないと分かっていても。
謝罪。
それはこの旅で多分一番俺が学習したこと。俺が謝ればいい。それで何もかもおさまる。…中にはそうじゃないこともあった。
反省してます、と俺の数少ない語彙で謝罪しまくる。
こんなに言った所で、それはかえって胡散臭いものになる。確かアニスがそんなことを言っていた。
「…来い」
ぽつりとそれだけ言うと、あっけに取られる俺を置いてさっさと歩いていってしまう。どうやったらこの細くて狭い路地をあんな風に歩けるのだろうか。来い、とは俺は付いて行ってもいいのだろうか。許されたとは思わないけれど、どういう心境の変化だろうと思ってしまう。
何度も角を曲がった先で急に前をゆくアッシュが立ち止まる。見ればそこにはひとつの扉があることに気づく。彼はここで寝泊りしているのだろうか。
アッシュ…と口を開こうとした瞬間に急に振り返られて、出てくるはずだった言葉を忘れてしまった。
「今日は許してやるが、もう一度言ってみろ。その口、利けなくしてやる」
ああ、それもいいかもしれない。今日の宿を気にする必要もなくなるし。何より逃げることが出来る。俺を悩ます全てのことから。
アッシュになら本望だ。
さっき切れた髪はもう第七音素に還っただろうか。
俺も、もうじきそうなるかもしれない。
被験者の声が遠くに聞こえた。
このあと、ルークはどうしたのかといえば、ちゃんと泊まりましたよ。アッシュと一緒に。
ちなみに、アッシュが寝泊りしている所は宿じゃないです。漆黒の翼の隠れ家的な所を貸してもらってます。
翌日、皆が泊まっている宿に帰って来た所で、ガイが「どこ行ってたんだぁぁぁぁ〜〜探したんだぞぉぉぉぉ〜」とか言いながら飛びつくに違いない。
製作中の仮題は「過保護とツンデレと自殺願望」
砂にかき消された願い 2007/02/09