俺は此処に還ってきた時から欠かさずしていることがある。
「早く準備しろ。父上と母上はもう応接間で待っている時間だ」
「ふぁ、待ってくれよ〜アッシュ〜」
置いていきなどしない。俺はようやく陽の当たる場所を歩ける気がするのだから。お前とともに。
…が、コイツの寝起きの悪さは別だ。
着替えのために、少し目を離した隙に二度寝をするというとんでもない奴だ。
いっそのこと性格面まで劣化せずに戻ってきたら良かったのだが、それではますます俺自身を見ているようで気味が悪いし、何よりそれは「ルーク」ではない。
あまりの遅さに枕をルークの顔面めがけて投げ、先に行くぞ、と言い残して部屋を出る。
部屋を出て数えるほども無い階段を下りた先の中庭には一つの墓標がある。
『ルーク』の名が記された墓。
俺のでもあり、アイツのでもある石の塊の前に立ち、1分だけ黙祷を捧げる。
もう毎朝の習慣とまでになっていた行為だ。
その祈りに意味は無いことは分かっていても、どこかで希望を抱いているから今日まで続けてきた。
正直、還ってきた時に部屋を見て驚いた。あるのは元々備え付けられていた調度品のみで、ただ一つ机上に残された日記をのぞいては、アイツのものと呼べる私物は何一つ遺されてはいなかった。
母上に聞いた話では、ルークは瘴気が消える前、つまりレムの塔に行く前に一度帰ってきたことがあるらしい。その時は1時間ほど部屋に籠もっていたが、部屋を出るなりすぐに旅立ってしまったと。
大方、その時にもう帰ることは無いと思って数少ない私物を処分したのだろう。
…「だろう」と不確定なのは訳がある。
俺の中のルークの記憶を探って思い出そうとしても、肝心な記憶が見つからないからだ。その時はなんとも思わなかったが、時間が経つにつれて、ひとつ、またひとつと記憶が無くなっていくことに気づいた。ルークがいた証を奪うな、となんとか覚えているだけを書き出してはみるもの日常的な記憶ばかりで、ついに、ひと月ほど前には俺の中からルークの記憶と呼べるものはまるで最初から無かったかのように綺麗に消えてしまっていた。
俺はルークのことを断片的にでも知ろうと、邸にいるメイドや白光騎士に聞いて回った。ほとんどは軟禁生活の時の話だったが、一つだけ皆が口を揃えて言うことがあった。
瘴気が消えた後、ルークがもう一度戻ってきたらしい。まるで懐かしむように邸を見て周り、邸にいる全ての人に短く話をしていったそうだ。後日、メイドの一人が掃除のため部屋に入った時に、それまでは無かった日記が置いてあるのを見つけたと聞いた。
「アッシュ!待っててくれたのか」
いつもよりも長い黙祷を終えると同時に背後から声がかかる。目を離しても三度寝はしなかったらしい、と近づいてくる足音を聞きながら思う。
「あ、これってやっぱり俺の墓…だよなぁ。『ルーク・フォン・ファブレ』ってしっかり名前書いてあるし」
昨日初めて見た時は薄暗くてよく見えなかったけど、と刻まれた文字を手でなぞる。
「…もう何の意味も無い唯の石だ。行くぞ」
しみじみと見入っているルークを置いて廊下へと通じる扉へと向かう。
早くあの石をどかす様に言おう、と心の中で堅く決意した。もう意味の無いものをいつまでも置いておくことはない。
「ところで、アッシュはあそこで何やってたんだ」
廊下で追いついたルークは俺に核心を突く質問を投げかけてくる。
コイツは妙な所で鋭い。天性の勘というやつだろうか。
「お前には関係の無いことだ」
「何だよ、それ。教えてくれたっていいじゃないか」
ぎゃあ、ぎゃあと子どものように後でルークが喚くが気にせずに歩を進める。実際、中身が子どもだから仕方がない。
「早く来い。いつまで父上と母上を待たせるつもりだ」
応接間の扉の前で振り返って言ってやる。合わない歩調は俺から合わせてやればいい。
そうやって俺たちは二人でその扉を開けた。
今日からはじまる新しい日々のために。
隠し通せばいい。
俺があの場所でしていたことはお前が知る必要の無いことだから。
もう、する必要はないのだから。
まさか、お前が還ってくるように祈っていたなんて言えるはずも無い。
アッシュが別人のように優しく見えますが、気のせいです。
消えたアッシュの中のルークの記憶の行方は…言うまでもありませんね。
届いた願いは声にすることなく 2007/02/14