「なぁ、ガイ」
「なんだ?ルーク」
「世界はこんなにも広かったんだな」
キムラスカ王国バチカル城の前の広場。ここにいることが許されるのは王族と関係者と警備の者のみ。一般人が立ち入ることが出来ない場所。
その広場の豪華な装飾が施された欄干に寄りかかりながら、羊皮紙を丸めて、覗き込んで、どこか遠くを見ていた子どもが言った言葉。
俺はずっと邸の中しか知らなかった。生まれて、7年間邸に篭りっぱなし。コーラル城で発見されたらしいけど、そんなのはもう覚えてはいない。覚えるという行為自体知らなかったのかもしれない。
「なんだ唐突に…」
「ガイは当然知ってたよな。この世界の広さを」
そりゃあ…な、と7年間俺を世話してくれた使用人はさも当然のように答えを返したが、言葉が続かないところを見ると、俺の意図することは分からないようだった。
あの邸から偶然みたいな事故で突然知らない人と知らないところに放り出されて、俺はそれを外と認識できなかった。外を知らなかったから。
「俺は初めて外に出てバチカルまで帰る途中、いろんなものを見た、聞いた。様々な人に出会った、別れた。」
でもそれが、普通であっても俺にとっては普通じゃなかった。面倒なことはガイや多くのメイド達がやってくれていたから。外に出るということは様々な事と衝突するということ。時にはいらぬ問題を起こすということ。当たり前のことなのに、その対処の仕方を俺は知らなかった。邸では、面倒なことはガイや多くのメイド達や白光騎士団がやってくれていたから。皆が俺に気を使っていた。
「俺が初めて知った村…エンゲーブに着いたとき露店に売りに出ていた日の光に当たっていたおいしそうなりんごを食べたんだ。お金も払わずに。」
お前なぁ…とあきれた言葉がガイの口から漏れる。
俺は邸の中でのことを普通にしただけだったんだ。りんごを食べたいと思ったから口にした。それ以外に理由もへったくれもなかった。ただ食べたいという人間の本能に従っただけだった。物を手に入れるのにお金が必要だなんて知らなかった。邸の自分の知らないところで行われていたことなんて。
「泥棒扱いされた」
当然だろ、と教育係も兼ねていた使用人は言ったが、直後に顔に反省の色が見える。
でも、ガイに責任は無い。俺は外を知ろうともしていなかったから。ただ外に出たい、外に出たいと文句ばかりを言う子どもだったのだから。(あ、今も子どもか)
「そのときはティアがいたから、イオンがいたからなんとかなった。でも、それなのに俺は『ありがとう』とも言わなかったんだ。面倒なことを代わりに解決してくれたとしか思ってなかったから」
なんて愚かなことをしたのだろう。今思えば、エンゲーブに着く前でさえ、ティアに母親の形見のペンダントを馬車代にさせてしまっていた。(結局、グランコクマ行きだったけど)あとでそれを知ったとき、すごく後悔した。彼女にとってはこの世に二つとない大切なものだったのだから。
「それでも今、俺はティアやガイ達と旅をしている。まだ、いろんなものを学んでいる。みんなの優しさに甘えてるんだ」
ガイは何も言わない。言えない。ただ静かにルークの言葉を待っている。
「俺が見ていた世界はこの羊皮紙を丸めて覗き込んで見える範囲でしかなかった。あの邸で中庭から見上げた空のように。今は、少しは大きくなったと思うけれど同時にまだ狭いとも思うんだ。」
可笑しいじゃないか、ガイはルークの言葉に疑問を投げかける。
「今までの旅でお前は世界中を旅してきただろう?」
「そのはず…なんだけどな…」
外殻大地を無事に降下させたあの日から1ヶ月。皆はそれぞれの役割を果たそうと懸命に努力しているのに。俺だけがまた何もしていなかった。気づいたらあの中庭で空を見上げているんだ。次に空にある譜石帯を。上げていた顔を戻して見るのはペールが欠かさず手入れをしている花。母上や父上にはあまり顔を合わせたくない。あの場所にいるべきなのはアッシュなのだから、申し訳ない気持ちになるだけ。
「自分から何かをしようとしても、何をしたらいいか分からない。それはまだ視野が狭いからだと思うんだ。」
くるりと今まで背を向けていたルークがガイに向き直る。その目はいつに無く真剣でまっすぐガイを見る。
「だから…だから、もう一度こうして皆と旅をすることで以前の旅では見えなかったことが見えるんじゃないかって…俺はそう思っている」
前の旅では自分自身のことで精一杯だったから。今度は違う。前よりも落ち着いて物を見られるようになった。(…と思う。)
「それに…アッシュを探して連れ戻さないといけないしな」
自分でもちゃんと笑えてないことは分かってた。たとえ、笑えてたとしてもガイには分かってしまうだろう。ああ、ほら今にも聞こえてくる。幼馴染兼元使用人の声が。
「…ルーク…お前…まさか…」
「お待たせしましたわ」
ガイがその先を口に出すことは叶わなかった。今まで忘れていたが、ケセドニアの視察から戻ったばかりで、旅の支度をしてくると言ったナタリアを待っていたのだった。…もうかれこれ1時間は経っていたが。
一瞬
一瞬だけ
ナタリアの所へと駆けていく子どもが霞んだように見えた。目をこすってみたが確かにそこにいる。幻ではない。最近、ブウサギの世話が忙しかったせいだろう。疲れているのかもしれない。
それでも7年間見てきた背中は今にも消えてしまいそうに見えた。
ある少年の決意とその幼馴染兼使用人の予感。
バチカルの城の前の広場は雰囲気的に良い場所だと思って、どうにか舞台に使えないかとあれこれ試行錯誤した覚えがあります。ルークが見ていた景色は綺麗だったのだと思います。
話としては視野の問題です。レプリカ編開始直後のルークにしてみれば、何かしたいけれど、まだまだ知識不足で何をしたらいいか分からない状況であったように思います。
つかの間の休息 2006/12/29