覚えていた一番新しい記憶は、ローレライを解放して、光の中に消えた記憶。
その後は思い出そうとしても何も思い出せない。ぽっかりと空いてしまっている。
白いセレニアの花は懐かしい。外に出て最初に見た花だ。夜が近いのか早いものはもう、つぼみを開いて淡い光で輝き周囲を照らす。
聞こえる。彼女の歌が。あれは一度だけ聞いた大譜歌。ユリアの譜歌。
行かなきゃならない。そんな気がした。花にうずもれた身体をそっと起こすと声のするほうへ歩を進める。いつの間にかあたりは暗くなってセレニアの花がまるで導くように咲き照らしていた気がする。
見覚えのある背が見えた。それも複数。心なしか少し伸びたようにも見える。
花を踏みしめる音が聞こえたのか彼らの一人がゆっくりと振り向く。
その気配に気づいたのか、背を向けていた4人もこちらを驚いた顔をこちらに向ける。
「…どうして…ここに…」
言うべき言葉が見つからないのかその唇はひどく震えていた。
良く見れば口紅が施されている。彼女はそんな性格だっただろうか。
「ここからなら…ホドを見渡せる。それに…約束してたからな…」
約束。戻ってくるという約束。
皆とした。そして彼とも。
その後はよく覚えてない。
ティアは涙をこぼしながら抱きついてきたし、ガイやアニス、…ナタリアも再会を喜んでいた。
ただ、ジェイドだけは、動かずに冷静にこちらを見ていた。だから、その口がゆっくり開くのが分かった。
「…確認しますが、貴方はルークですか?それとも…」
その問いの答えは俺しか持っていない。
「…俺は…ルークだよ…皆がよく知っている」
「…そうですか」
ジェイドはまだ何か言いたそうだったけれど、あえて言わないみたいだった。俺は何が言いたいか分かっていた。そして押し黙った理由も。
バチカルへ向かうアルビオールの中であれから2年が経っていたことを知った。
そして今日が『ルーク・フォン・ファブレ』の成人の儀だということも。
バチカルへ着いて早々に、知らせを受けたのか白光騎士団が俺たちを迎えてくれた。邸に着くと夜にも関わらず父上と母上、それにラムダスを初めとした邸の皆が迎えてくれた。父上にはよく帰った、と言われ、母上には泣きつかれた。
その日はもう遅いということもあって、国中への知らせは翌日に行われることとなった。
もう帰ることはない、と思っていた自分の部屋。最後に見た日から何も変わっていない。数少ない私物は処分してしまっていた。あの日の決意は何だったのだろう。
此処に還るべきは俺ではなかったのに…
本当の主をこの部屋は待っていたのに…
枕に顔を押し付けて声を殺して泣いた。誰にも聞かれないように。
ベッドに敷かれたシーツは真新しい匂いがした。
還ってきて1ヶ月間は落ち着ける暇さえなかった。国中に「英雄」の帰還を知らせなければならなかったし、さらにはグランコクマやダアトにも訪れなければならなかった。キムラスカの至宝勲章は叔父上から以前にもらっていたけれど、今度はそれがマルクトとローレライ教団からも贈られるという。
堅苦しい儀式は本当に自分に合わないと思う。
本格的に勉学を始められたのは還ってきて2ヶ月を過ぎた頃だ。
父上や母上もそれを望んでいたし、なによりあの旅で自分自身の知識不足を痛感した。
勉学に意識の違いというものはかなり影響するらしい。手をつけようとも思っていなかった頃とは違い、集中して取り組んでいた。帝王学から古代イスパニア語、貴族としての振る舞いまで幅広く。次第に城の書庫や叔父上の私室にある本まで借り出していくようになった。
…あっという間だった。
ND2021・ローレライデーカン・レム・48の日。
一年前にうやむやになってしまった俺の成人の儀を行うという。正直、またあの着慣れない子爵服を着るのは勘弁して欲しかった。以前の俺ならうぜー、たりーって言ってたと思う。それでも母上に一世一代の晴れ姿を見せてくださいなどと言われては断ることもできなかった。
儀式の後、邸に戻った俺をガイが訪ねてきた。ガイはジェイドと共にマルクトの名代として成人の儀に参列していた。その帰りにわざわざ寄ってくれたらしい。
「此処は変わらないな」
「…そうかな…」
中庭で以前のように話す。もっとも、もう使用人とその主人ではないけれど。
「ああ、変わってない。ペールの育てていた花はまだ元気に咲いているようだしな」
聞けば、ガイはまだピオニー陛下のブウサギの世話をやらされているらしい。それでも、伯爵としての貴族院で頑張っているそうだ。
気づいた時には夕暮れ時で、闇がすぐそこまで迫っていた。
邸を出て昇降機までガイを見送る。でも、装置に乗る前に言われた一言に俺は困惑した。
「お前・・・変わったな」
…変わった?
言われた意味が良く分からなかった。
何も変わっていない。何も。俺が女になったわけじゃあるまいし。
しきりに首をかしげているとこう付け加えられた。
「笑わなくなった」と。
それからしばらくして気づいた。いや、気づいてしまった。知らなくてもいいことを。残酷な事実を。
俺はやはり望まれた『ルーク』でないことを。
幸福の場所 2007/01/20